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エコノミクストレンド、貨幣の機能、多様な競争も――柳川範之東大教授、仮想通貨が可能性広げる(経済教室)

2016.11.21

ポイント
○仮想通貨と中央銀行券に類似点と相違点
○貨幣的なサービスとビッグデータ結合も
○必要な法律や制度の検討は今後の課題に
 近年、ビットコインに代表される仮想通貨が注目されている。電子的な記号にすぎないものが価値をもち、人々の間で流通するのが仮想通貨だが、電子的なものが価値をもつのは、例えばネット上での預金通帳残高でもそうだ。仮想通貨のより本質的な点は、そもそも発行者すら存在せず、発行者が仮想通貨と何かとの交換を約束する形に一切なっていない点にある。
 銀行預金の残高情報は、それだけの現金を銀行から引き出せることを意味している。しかし、仮想通貨の場合には、現金やモノとの交換が約束されていないという意味で、何の裏付けもなく、いわゆるファンダメンタルズとしての価値はゼロである。にもかかわらず価値をもって取引が行われている。
 なぜ、何の裏付けもない電子データが価値をもつのか。もちろん、供給量が制約され、勝手に供給量を増やせない、あるいは偽造できない仕組みが技術的につくられている点は大きい。しかし、それだけで価値をもつとは限らない。結局のところ、皆が価値があると思っているから価値がある、というのがその答えになる。
 実は、今の中央銀行券(紙幣)も同様の構造をもっている。中央銀行にもっていっても何かと交換してくれるわけでもない。本来はただの紙きれのはずだ。しかし、皆が中央銀行券に価値があると思うから価値がある。
 ただ、仮想通貨と中央銀行券とは、現状ではかなり使われ方に違いがある。
 貨幣のそもそもの役割は、物々交換において、お互いに自分が欲しいものを相手がもっていないと交換が成立しないという「欲求の二重の一致問題」の解消にある。欲しいものを相手がもっていない時には、とりあえず貨幣を受け取っておき、欲しいものをもっている相手と出会った際に、それと貨幣を交換することで問題が回避できるからだ。そのためには、貨幣は誰もが受容しやすい財や資産である必要があった(一般受容性)。
 また、転々と流通していくため、価値が消耗せず、貯蔵手段としても使える必要があった(価値貯蔵手段)。そして取引手段として共通に使われるようになった結果、価格の計算単位として用いられるようになった(計算単位)。
 一般的には、この3つの性質を満たすものが、理論的な意味で貨幣として捉えられている。ただし、本質は一般受容性であり、あとの二つは副次的に発生する性質である。
 一般受容性には、資産としての安定的な性質と同時に、人々の「期待」「予想」が重要な要素となる。つまり、人々がその資産に一般受容性があると認識すれば、それは実際に一般受容性をもち、貨幣となり得る。
 人々の予想は完全にコントロールはできないが、現実的には、中央銀行券がその国で通用する貨幣としてほとんどの国で認識されてきた。
 現状を考えると、仮想通貨を支払いに使える範囲は、どの国でもさほど広くはない。つまり、実は、一般受容性をもつ資産という意味合いはあまり強くなく、価値貯蔵手段、投資対象資産という意味合いが強い。
 法的に仮想通貨をどう扱うべきかは、意見が分かれるところで、電子データなので物権とは呼びにくく、また裏付けがないので、債権とも呼びにくい。しかし、裏付けがないとはいえ、性質としては金融資産に極めて近いことを考えると、本来は債権の特殊ケースとして位置付けることが適切だろう。
 かなり先の未来を考えるとまた別の可能性もあろうが、一般受容性が高くない仮想通貨の現状を考えると、値段を円表示かビットコインの単価で表示かというような計算単位間の競争が起きると考えるのは現実的ではないだろう。
 しかし、一般受容性が高くないからと言って意味がないわけではない。むしろこれから重要になってくるのは、今まで中央銀行券が一手に担ってきた貨幣の機能が、部分的に分化される、いわゆるアンバンドリングの形で、民間が様々な貨幣的サービスを提供していく可能性である。仮想通貨もその一つと考えるべきだろう。
 これからは、利便性の面での多様な貨幣的サービスの提供が可能になってくる。単純な例でいえば、今の硬貨は重くて使いにくい。電子データの入ったカードなら、ずっと便利だというのは多くの人が実感しているところだろう。このように貨幣が提供するサービスの質は同じではなく、技術的に進歩し得る。
 各国が中央銀行による仮想通貨発行の可能性を検討しているのも、それによって提供する貨幣の「質」を上げるというのも一つの理由であろう。
 それに関連するハイエクの著名な主張に「貨幣発行自由化論」がある。貨幣発行を中央銀行に独占させるのではなく、民間でも自由に発行させれば、一番良い貨幣、すなわち、インフレ率が一番低い貨幣が生き残るのではないかという主張である。
 このハイエクの議論は一面の真理を突いていたが、完全には正しくはなかった。各通貨のインフレ率は完全には予測できず、また発行者が後で変化させることができるため、インフレ率の低い貨幣を競争にとって選ぶことが難しいからだ。しかし、ここで述べたような質の面では、ハイエクが考えていたような競争が機能する可能性がある。
 特に、質の高度化という点で興味深いのは、より多様な情報処理が可能になってきているという側面である。
 現行の中央銀行券には、それ自体に情報処理をするメカニズムは当然なく、発行された後は誰がどのように利用しているかを、中央銀行は一切、把握できない。ビットコインなどの現状の仮想通貨でも発行者が存在しないため、誰かに情報を集めるという仕組みにはなっていない。
 しかし、既に現状でも、各企業が発行しているポイントカードは、ポイントの発行や利用の際に、購買履歴などの情報を発行企業が把握できるシステムになっている。
 仮想通貨の技術は、ブロックチェーン技術として様々な方向性での発展が期待されているし、ポイントの例が示すように、ブロックチェーン技術を用いなくても、貨幣的なサービスとビッグデータなど情報の高度な利用と結びつけた、新たなサービスの仕組みは十分考えられる。
 そもそも欲求の二重の一致問題も、情報が不十分なために生じている。たとえば、誰に何を渡したかをきちんと記録できていれば問題はかなり変わってくる。その意味で取引情報は貨幣的サービスにとって重要な意味がある。
 また、もの同士がインターネットでつながるIoTなどの技術革新も進展すると、このような情報伝達機能を中心とした貨幣的サービスの高度化競争も起こってくるだろう。
 情報伝達機能以外にも今後は、様々なサービスが貨幣的サービスと結びついて、より高度化されていく可能性が高い。その際には、我々が貨幣だと思っているものとは、かなり異なった貨幣が現れるかもしれない。
 そこには、多くの新たなビジネスチャンスが広がっているし、経済活動全体にも物価や金利とは違ったルートで影響を与えるかもしれない。しかしながら、そのためにどのような法律や制度が必要かの検討はまだこれからであり、今後、真剣に考えていく必要がある課題だろう。
 
 日本経済新聞 朝刊,2016/11/15,ページ:30